今日、彼といろんな話をした。
話をする中で自分の過去と、そのときの思いが交差する。
彼自身の話とも重なりあって、自分が果たしてよい「嫁」であったのかという思いがよぎった。

いいえ。
決してよいお嫁さんではなかったと思う。
相手の人のことを思いやれずに、相手の家族のことを思いやれずに過ごした2年間だったと思う。

妊娠中と子どもが生まれて1年間は、
今思えば、本当に孤独だった。
アパートに1人でぽつんといる私。
ぐずる赤ちゃんと、1人で泣きながら戦った私。
子どもと一緒にインフルエンザに倒れ、死ぬかと覚悟したあの日。
帰ってこぬ人を、アイロンかけながら待って夜を明かした日。
それを、母だから、妻だから当たり前だと思って欲しくない。

その仕事自体は、そんなに苦にならなかった。
当時は本当の意味で誰も傍にいなかったのだ。
「世話、大変だろう。」とか「おつかれ」の一言が
あるだけで十分なのだ。そこで「愛」を感じられれば
妻はつらい仕事でさえ乗り越えられるものなのだ。
でも、当時は別に夫に助けてもらおうとか、一緒にいてほしいなんて
心から思ってなかった。
というか・・・
いないほうが楽だった。ズバリ愛してなかったから。

でも
心の奥では
さみしくて、心細くて「タスケテ!」といつも叫んでいた。
精神的にも、肉体的にも
本当にぼろぼろだったあの頃。
そして限界が来たとき
私は「出て行くから」という一言を告げて
家を出た。
そのとき夫は「好きにすれば」と言った。
そのときに
「ああ・・・もう無駄だな。」って思った瞬間を
私は今でもはっきりと覚えている。
子どもは幼いながら
母をかばい、泣いていたあの瞬間。
私はものすごい罪を感じた。

でもあのときを乗り越え、
子どもと共に過ごし、
家族に支えられ、
そして自分が望む仕事をしているおかげで
私は私を取り戻した・・・というか
成長することができたと思う。

だから私は彼と出会えてつきあえているのかもしれない。

私は、今おそらく家族的立場で言えば
「父親」的だと思っている。母親としての仕事を
妹がしてくれたり、母がしてくれたりしている。
今は本当に周りに甘えていて
ぬるま湯に浸かっている状態。。
昔のように
「妻」そして「母親」に復活することができるのだろうか。。
それを子どもが受け入れることができるのだろうか。。

未来に不安はつきない。
でも
今の彼なら、話し合いながら
きっといい方向を導き出せると思ってる。
大変だろうけど
がんばろ。
大好きな人たちの為に。
そしてもちろん私自身の為に。。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索